◆◆◆FUNCTIONストーリー part 1◆◆◆
私は大学を卒業するとすぐ名古屋に就職し、
サラリーマン生活を始めました。
しかし2年ほどで、違和感を感じました。
同じ時間に、同じ満員電車で、会社へ
だいたい同じ時間に、同じ電車で家へ
その時は給料を少しでも増やすために
残業をしてました。
その頃ロッククライミングにはまり、
週末はボルダリングジムで、
店番をするようになってました。
会社でPCパチパチするより、
よっぽど楽しかったのを覚えている。
俺は人と接する仕事が好きだ。
ボルダリングジムの仕事を通して、
もっと人の成長に関わりたい!
と思った。
それから30歳で沖縄に帰ってきて、
お金のためには働かない。
自分が好きで、できること。
そして相手が喜んでくれること。
最初はクライミングの経験を生かして、
沖縄では初のクライミングガイドをやった。
しかし、知名度的にも低く、危険なイメージ
が強いため、なかなか厳しかった。
右往左往しながら、いろいろ考えた。
ビジネスってなんだ?
行き着いたのは、
困っている人がいる
その人の困りごとを解決してあげる。
困っている人が喜んだ分の報酬を受け取る。
クライミングをしたくて困っている人は
そうそういない。
またまた考えた。
自分が好きで、できること。
困っている人がたくさんいること。
そして僕はパーソナルトレーナーという
道を選んだ。
中学ぐらいから、筋肉に興味をもち、
陸上、駅伝、バスケット、クライミング
というスポーツを通して、
いろんなトレーニング理論を実践してきた。
クライミングをやり始めた時、
記憶の中に強烈に残っている思い出がある。
クライミングを始めて、1週間ぐらいの時
いつものジムにいくと、
1人の50代ぐらいおばさんがいた。
カラダも小さく、細い。
その頃僕は25歳、168cm 65kg
結構ガタイのいい体格だった。
準備運動をしながら、なんとなく
そのおばさんが気になって、見ていた。
(落っこちて骨おらないかなー大丈夫かよ)
すると、僕がまだ登ったことのない
難しいコースを難なくひょういっと
クリアしてしまった。
その後、何度もおばさんのカラダを触ったり
、腕を握ったりした。
明らかに腕力は自分が上!
おそらく体力もスタミナも話にならんぐらい
俺が上。
それなのに、クライミングでは
まったく歯が立たなかった。
それから僕はクライミングにどハマりした。
カラダや、トレーニングの研究にも、
本格的に取り組むようになった。
そして辿り着いたのが、
今まで取り組んでいた
マシンやウエイトトレーニングとは
全く違う、
動きの制限を無くし、
カラダの連動性を重視した
ファンクショントレーニング!
そしてTRXというアイテムだった。